2005.11.13 Sunday
トヨクニハウス01
![]() トヨクニハウス 大阪市都島区高倉町1 (地図) 竣工 1931(昭和6)年 撮影時期 2005年4月 下寺住宅の解体によって一連の“軍艦アパート”がすべて消滅した今となっては、大阪に残る戦前のRC造集合住宅は、おそらくこのトヨクニハウスが最後でしょう。東京の同潤会アパートに比べると大阪の戦前RC造アパートは知名度が低く、トヨクニハウスも「知る人ぞ知る」という存在で、かくいう私も最近まで知りませんでした。しかし実際に見ると、建築史的にかなり貴重な存在だと思いました。できれば文化財に指定して公的に保存すべき。その価値はあります。 ![]() トヨクニハウスは民間のアパートで、2階建ての建物が4棟あります。当初は6棟あったようです。設計者は不明。住戸形式はメゾネットではなくフラット、つまり1階と2階は別の住戸で、中央の階段室で左右対称に分かれています。したがって1棟の住戸数は4戸。この4戸1住棟の構成は大正時代に木造アパートで既に登場しており、トヨクニはこれをRC(鉄筋コンクリート)造に置き換えたものと言えるでしょう。 また、このタイプの前例としては、同潤会の代官山アパート(現存せず)をあげることができます。同潤会アパートは中層棟のイメージが強いのですが、代官山には中層棟だけでなく低層棟もあって、これがやはり中央に階段室を持つ4戸1住棟でした。“立体四戸”と呼ばれたこのタイプはRC造では代官山しか建てられなかったものの、同潤会の木造住宅にも見られます。代官山アパートの竣工は昭和2年(一部は5年)でトヨクニよりも早いので、トヨクニの設計者が代官山アパートを参考にした可能性はあります。 【関連サイト】代官山の低層棟の写真を載せているサイトは意外と少ない Site Y.M. 建築・都市徘徊 > Tokyo Lost Architecture > 同潤会代官山アパートメント suze collection > contents > annex > すきだったばしょ Vol.1「在りし日の同潤会代官山アパート」 ![]() 階段室の出入口。この階段は2階の住戸にアクセスするためだけの存在で、1階住戸の玄関は別の部分にあります。この点も代官山と同じ。 ![]() 庇の先端にはアパート名が。“A”は住棟の符号です。数字ではなくアルファベットとしたのは、先進的なイメージを演出するためでしょうか。 ![]() 1階住戸の玄関。この写真だけ見るとまるで戸建て住宅のようですね。 ![]() 隣棟間隔はかなり狭く、住棟の間は中庭というより裏庭とか路地といった方がふさわしい。下寺住宅を訪れた時にも感じましたが、良質な中庭空間を造ろうとする意識に欠けます。庭より住棟を建てて住戸数を増やした方がいい、という大阪らしい経済性重視の姿勢を思うのは偏見でしょうか。 (続く) 【関連サイト】 blog版「環境社会学/地域社会論 琵琶湖畔発」 > トヨクニハウス |






