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団地・炭鉱・近代化遺産・建築・まちなみ…
池島の炭鉱住宅 高層棟02
池島の炭鉱住宅 高層棟06
▲左:31号棟、右:29号棟の南立面
4階建て住棟を2段重ねしたかのような北立面に対して、南立面は1〜8階まで同様のデザインで立ち上がっています。前回のエントリーで述べたブリッジが左に見えています。
池島の炭鉱住宅 高層棟07
▲左:27号棟、右:25号棟の南立面
ブリッジは鉄骨造の橋桁にコンクリートのスラブと腰壁を打っています。それにしても、斜面の中腹に高層棟を建てて、尾根から5階レベルにブリッジを架けるとは、実に大胆な計画です。おそらく、限られた敷地に住棟の配置計画を立てたところ、必要住戸数を確保するにはどうしても一部を高層化せざるを得ず、エレベーターなしで高層階にアクセスする方法を検討した結果、北側斜面の利用を考えついたのでしょう。建築学の常識に囚われない炭鉱技術者ならではのユニークなプラン。橋を架けるという点では土木の設計思想に近いですね。

池島の炭鉱住宅 高層棟08
▲左手前:31号棟、左奥:29号棟、右は尾根沿いに建つ中層棟
高層棟の下半分は隠れているので、尾根沿いの道の景観は両側に中層棟が並んでいるように見えます。尾根を超えた南側(写真右側)には坑道の入り口があり、出勤時、炭鉱労働者は尾根の南側斜面の階段を下りて坑道へ向かったと思います。つまり、住まいから坑道へ最短ルートで往復するなら、高層棟の1〜4階の住民も5階のブリッジを通ったはずです。そう考えればブリッジの幅の広さが納得できます。

池島の炭鉱住宅 高層棟09
▲31号棟
斜面から下の方はあまり見えません。低層階の住戸からの眺めはほとんど斜面しか見えないのでは。

池島の炭鉱住宅 高層棟10
▲25号棟
一部はツタが8階まで伸びています。とはいえ、既に長年放置されている割には、それほどツタに覆われていませんね。いつか、建物全体がツタに覆われる時が来るのでしょうか。

静寂の中、夕日に照らされた無人の団地にひとり立っていると、興奮と寂寥感が同時に湧き上がってきて不思議な感覚に囚われました。今でも池島のことを思い出すたび、あれは現実の光景だったのだろうかと思わずにはいられません。しかし、確かに数十年前、炭鉱労働者とその家族で活気に満ちていた時代がこの団地にはあったのです。
| 炭鉱住宅 | 00:47 | comments(4) | trackbacks(0) |
はじめまして。
池島生まれ、池島育ちの者です。
懐かしく写真を拝見して書き込みをさせていただいてます。
閉山するまで両親はじめ親戚一同池島に住んでいました。

物心付いた時から29棟に住んでいたのですが、
高層棟だけが閉山前する10年ほど前に
閉じることになってしまい、高層棟の住民は
全世帯引っ越しをしました。
「老朽化」が原因だと言うことだったのですが…
真意はちょっと分かりません。
外壁が塗り替えられている途中でそう決まったようで、
25棟が中途半端になってしまっているようです。
(私はもう当時住んでいなかったので両親からの伝え聞きです)

凸部分、中央は階段でその左右の小窓は
各部屋の玄関の窓になります。
細長い凸はお察しの通りダストシュートです
(まったく機能してませんでしたが)。
5階は一本廊下でしたが、ちゃんと住宅もありました。
廊下にいきなり各玄関ドアがある状態です。

この周辺の社宅は内風呂がある所は一軒もありませんでしたので、
みんな27棟下の共同浴場にて入浴していました。
内風呂があるのは120棟台や130棟台の社宅だったと思います。

今年中には久しぶりに島に帰ってみようかと思っています。
| af | 2006/04/12 7:15 PM |

>高層棟だけが閉山前する10年ほど前に閉じることになってしまい、
>外壁が塗り替えられている途中でそう決まったようで、25棟が中途半端になってしまっているようです。

ご教示ありがとうございます。私はてっきり最近の塗り替えだと思い込んでいましたが、もう少し以前のことでしたか。塗り替えの途中で閉鎖が決まったという経緯から、急な方針転換であったことがうかがえますね。老朽化というより、おそらく、塗り替え等メンテナンスにかなりのコストがかかると分かって閉鎖を決めたのではないかと推測します。
| tks@管理人 | 2006/04/14 12:53 AM |

はじめまして。
私は小学校3年生まで、池島で暮らしていました。
父は勿論、炭鉱マンでした。
池島での生活は、幼い私にとって、綺麗な色彩のあるような生活ではなかったように思います。
思い出そうとしても、ところどころ、ある一場面の風景だけがフラッシュバックするだけです。
あれから二十数年が経ち、私の人生は180度変わりました。
父、母、兄、私、弟の5人だった家族も、今はばらばらになってしまいました。行方知らずの者もいます。
結婚をし、ようやく穏やかな生活を送れるようになった今、初めて自分の生まれた島への想いが強くなりました。
9歳であの島を離れて以来、一度も足を踏み入れることのなかった故郷。
いつかもう一度、訪れてみたいと思っています。
池島は今、どんなですか?



| | 2007/04/24 10:47 PM |

私は池島に数時間ほど上陸しただけなのではっきりしたことは申し上げられませんが、静かな島だという印象が残っています。閉山して人口が減少した旧産炭地はいずれも同様ですが、特に池島の場合は炭鉱施設や炭住が比較的残っていますので、人気の途絶えたそれらの光景は往時を知らない私であっても胸に迫るものがありました。
| tks@管理人 | 2007/04/25 10:40 PM |










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