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皇后崎のねじりまんぽ
皇后崎のねじりまんぽ01
皇后崎のねじりまんぽ
福岡県北九州市八幡西区熊手
竣工 明治時代?
撮影 2010年7月
カメラ Nikon D50 + SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC

前回の北九州工場ツアーの記事の中で、日中に単独で北九州市内を探索したと記しました。その成果は後日少しずつ報告していきますが、これだけはすぐにUPしておきます。北九州地域の鉄道遺構を調査している人達の間で話題になった、皇后崎(こうがさき)のねじりまんぽ形式のレンガアーチ橋です。
※1 橋梁の正確な位置は皇后崎・熊手の境界の熊手側だが、皇后崎側からしか接近できないので本稿では「皇后崎のねじりまんぽ」と表記する。

1枚目の写真では藪に隠れて分かりにくいのですが、レンガアーチ橋が少しだけ見えていて、その左のフェンスで囲まれた部分が西鉄北九州線の廃線跡、右の架線が見えている部分がJR鹿児島本線 ※2 です。つまり、この遺構は西鉄北九州線と鹿児島本線の間にあります。鹿児島本線でいうと黒崎〜陣原の間ですね。1〜3枚目は黒崎側から見たところで、背後の高架は黒崎バイパス。
※2 正確には鹿児島本線の旅客線と貨物線、および筑豊本線の短絡線。

皇后崎のねじりまんぽ02
穴生川に流れる小さな水路に架かるレンガアーチ橋。

皇后崎のねじりまんぽ04
アーチ内部のアップ。確かにねじりまんぽですね。

皇后崎のねじりまんぽ04
以降の写真は陣原側。水路に対して斜めに交差していることが分かります。

皇后崎のねじりまんぽ05

皇后崎のねじりまんぽ06


大きな地図で表示
マーカー左から穴生川のレンガ橋台第2穴生川橋梁、皇后崎のねじりまんぽ

皇后崎の航空写真
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)
撮影 1974(昭和49)年度

この橋がねじりまんぽであることはgolgodenkaさんが今年の5月に発見されました。国内では二十数カ所にねじりまんぽが現存してしますが、この橋の報告例は見当たらず、土木史上の大発見といっていいと思います。

現状ではこの橋は線路や道路に接続していない純粋な遺構です。では、当初は何のために建設されたのでしょうか。golgodenkaさんやotcheeさんの推測を元に私も考えてみました。

まず建設時期は、位置関係からこの区間の西鉄北九州線の開通 ※3 以前と思われることや、レンガ刻印の存在(otcheeさんのブログ参照)から、おそらく明治時代でしょう。
※3 この区間の開通は1914(大正3)年。当時の事業者は九州電気軌道。

用途については私は道路ではなく鉄道だと思います。otcheeさんが指摘されているように昔の道路なら木橋で十分のはず。こんな細い水路にわざわざレンガアーチ橋を建設したからには重量物(鉄道車両)が通過していた可能性が高い。

鉄道ならば鹿児島本線から分岐する支線ではとの仮説が浮かびますが、本線に対する橋の角度が不自然で、実際に軌道が接続可能かどうか疑問が残ります。もしかすると、ここに鹿児島本線 ※4 が開通するよりも昔に存在して短期間で廃止になった路線かもしれません。otcheeさんによると運炭線があったらしいとのことですが詳細は不明です。鉄道史や廃線系の本に情報は見付からず。
※4 この区間の開通は1891(明治24)年で当時の事業者は九州鉄道。つまり、このねじりまんぽ橋が鉄道用だとすると、明治24年以前に開通・運用・廃止になったのではないだろうか。
※5 本稿に記載した路線開通年はウィキペディアによる。

【関連サイト】

【関連エントリー】
| 近代化遺産 レンガ橋・橋台 | 01:23 | comments(6) | trackbacks(0) |
主犯格の golgodenka でございます(笑)。

筑豊出身ですが、東京在住のためなかなか訪れることができないため、在福の皆さんの調査という『目』が多く加わることでこの貴重なねじりまんぽの正体判明により近づけることを期待しています。

ちなみに、何とか時間をちょこっと作って国土地理院にて旧版地形図を眺めてみましたが、例の明治時代だけでなく、大正時代の地形図にもやはり道路として記載されている位置と一致するようです。

従って、運炭線等の鉄道説は仮に事実だとしても地形図には載らないような短期間なものだったかも知れません。

まぁ、要はまだまだ謎ですな、ということですが・・・根気よく皆さんで歴史に迫っていけると嬉しいです。
| golgodenka | 2010/07/23 7:57 PM |

当該遺構から歩いて通えるくらいの位置に在住の庵田です。
いや、、、この間お話ししたとおり、知ってはいたんです。数年前に見かけて「ああ、ななめだな、何でだろ」位でおわって、普通おかしなアーチ橋だと思うんだったら、下も見ろ! と自分にツッコミしきりです(困笑)。
さて、私の見解ですが、タケさんと全く逆で道路橋ではないかと推測しています。理由についてはいくつかありますが、
1.鉄道橋に使用するにしては、煉瓦の積み方が乱雑。ねじっていると言うよりは、途中で曲がっているような積み方では、上部の荷重を完全に分散できないのではないか。
2.煉瓦刻印が大阪窯業製であること。北九州では鈴木商店系の建物や九州電気軌道など関西資本の建物がこれを使用しており、とても中小企業が輸入できる代物ではない≒煉瓦橋は九州電気軌道が大正3年に作ったものではないか?
3.九州電気軌道は沿線住民の生活道路をなるべく阻害しない(道路をねじ曲げない)ためにねじりまんぼ構造を採用した→街道筋であったことに配慮したのでは?
などと考える次第です。ま、一説ですので、みんなで色々と想像したいと思います。
| 庵田@産業考古学研究室 | 2010/07/24 12:54 PM |

> golgodenkaさん
>庵田さん

うーむ、道路橋説が優勢ですか。たしかに地形図に道路とあって鉄道の記録が出てこない以上は、道路橋と考えるのが現タケ時点では妥当でしょうね。ひょっとして未成線かな?という推測も捨てがたいところですが。
| タケ@管理人 | 2010/07/24 11:45 PM |


でたん面白い

難しいことはわからないけれど

色褪せたあの街にも…

ですね

  
| caramelpapa | 2010/07/28 10:56 PM |

お久しぶりです。

いやー、こうやっていろいろ想像するのは楽しいですねぇ。
施工以来?今まで話題にもならなかったのでしょうから、アーチ橋も喜んでいることでしょう。

>庵田さん
志村うしろ〜!じゃないですが、庵田さん下〜ッ!ですよ(笑)


今後も皆さんで真相を解明していきましょう!
| おっちー | 2010/07/31 9:37 PM |

>おっちーさん

ねじりまんぽの希少性はもちろんのこと、「こんなところにあったのか」という灯台下暗し的な意外性がよけいに興味をかき立てられますね。
| タケ@管理人 | 2010/08/02 2:52 AM |










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